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パンティ祭りだ、わっしょい!『女性用下着の歴史』



本日、8月2日は『パンツの日』!
――ということで、今回は『女性用下穿き』をテーマにお贈りしよう。

●ノーパン&ノーブラが正式!? 江戸時代の下着事情
今でも「着物の時はパンティとブラジャーは着けない」という人がいるぐらいで、和装が当然の江戸時代にはノーパン・ノーブラが常識だった。
ちなみに、パンティやブラジャーがなかった昔ならともかく、現在の本格派が下着をつけない理由は、「下着の線が見えるのは粋じゃない」ということらしい。
だが、実は和装の際にパンティをはかない理由には、「線が出る」なんて不都合をはるかに凌駕する切実な問題があったのだ。
それが「トイレ後の着くずれ」。
今では股上の浅いパンティが主流になってきたが、かつてはヘソまできっちり隠れるような物が一般的だった。
そのため、帯の下にはさみこまれてしまい、脱ぎはきすると着物が着くずれてしまうのだ。
そのため、和装ではノーパンの方が都合よかったのである。









●着物用のパンティは真ん中に穴が開いてセクシー!?
ただし、いったんはきなれてしまうと、「ノーパンじゃ心もとない」という女性も増えたのだろう。
現在では和装用として、降ろさなくても用が足せるように、真ん中に大きなスリットが入ったパンティが開発されている。
「真ん中に穴」というと、ひじょうにそそられるものがあるが、実物はご覧の通り実用一辺倒。
ちょっと残念に思う筆者であった。



●パンティは淑女専用!? 明治~大正時代
明治時代に入ると西洋の影響を受け、洋装の浸透に合わせパンティやシュミーズをつけるようになった。
もっとも、洋装をするのは上流階級のみだったため、一般庶民は江戸時代同様に和装&ノーパンノーブラのままだった。
しかし、次第に西洋化が進み昭和に入る頃には、一般庶民でも洋服を着ることが珍しくなくなってきた。
ちょうど、そんな時に衝撃的な事件がおこるのである。

●女性がパンティをはくキッカケとなった大火災
それが『白木屋火災』である。
昭和7年12月16日、日本橋白木屋百貨店で火災が発生した際、上層階から綱を使って脱出が試みられた。
しかし、複数の女性が裾の乱れを気にして押さえようとしたために、綱から落ちて死亡した――というのが、皆さん、よくご存じの話だろう。
しかし、真相は違っていたようだ。



●下着フェチの記者のせい!? 新聞社によるでっち上げ
この事件を詳細に調べた井上章一氏によると、「焼け死んだ1名を除き、他の死者13名はすべて飛び降りや帯・避雷針などで降りようとして失敗した転落死である」そうだ。
確かに裾を気にして綱から落ちた女性はいたが、彼女は無事に救助されたとか。
したがって、「白木屋の火災でパンティをはいていないために女性が死んだ」というのは、真っ赤なウソなのだ。
どうして、こんな話が出回ったかというと、それは新聞社のせいらしい。
なぜか、新聞社が「裾が乱れるのを気にして、綱から落ち死亡した女性がいた」という記事をでっち上げた挙げ句、「だからズロースをはこう!」という運動を展開したのだとか。
新聞社が事実を捏造すること自体は驚かないが、なぜ「ズロースをはこう!」と方向に持っていったナゾ。
新聞社内に下着フェチでもいたのだろうか? 真相は闇のままである。

文/月夜



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