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春のパンツ祭り第3弾! パンティの歴史~中編~



『パンティの歴史』中編では、世界で初めてパンティが定着したと言われる西洋をご紹介しよう。

●15世紀のフランスではノーパン娘がひっくり返ると見物人は大喜び!
前編で「紀元前3000年には、すでにパンティが存在した」と書いた。
しかし、何故か、ほとんどの国々でパンティは定着しなかった。
一番早くパンティが定着したとされるヨーロッパでさえ、一般的になったのは16世紀に入ってからだと言われている。
蛇足ながら、『風俗の歴史』(著/フックス)によると、15世紀ぐらいのフランスの農村では『ひっくり返り』という、ダンス競技が人気だったそうだ。



このダンス競技は男女が踊る際に、相手の足の裏に蹴りを入れ合い、ひっくり返し合うというものだった。
その際、女性がひっくり返ると見物人たちは大喜びをしたそうである。
なぜなら、当時の農家の女性はパンティをはいていなかったからだ。
こうしたダンスは「猥雑である」と、1555年に当局に禁止される。
ただし、結婚式の時だけは許されたため、人々は禁止前以上にダンスに熱中したそうである。
そりゃあ、いくら禁止されようが男が女性の大事な部分を見たいと思う欲求を抑えられるはずがない。
さらに、それが滅多にないことともなれば、熱中しない方がおかしい!
かつての男も正常で喜ばしい限りである。








●ノーパンからレギンズへ! 男たちは大ブーイング!?
さて、話を戻して。
その後、16世紀に入ると、ようやく女性たちは『ブライズ』と呼ばれる、男性用下着に似たものをはくようになる。
ちなみに、この『ブライズ』というのは薄手の布をヒモで腰と太ももに固定したものだ。
男性はこの上に何も着けなかったので、“ズボン”に分類されることも多い。
まぁ、今で言えばスパッツとかレギンズに近いと考えればいいだろう。
したがって、男性たちにはひじょうに不評だったようである。



さて、ここまではご紹介したのは、あくまでもパンツの原形だ。
そんな中、やっと「パンツ」と呼んで差し支えないものが登場したのがイタリアだった【※オランダという説もあり】。
16世紀のイタリアでブライズは段々と短く小さくなっていき、『ズローズ』と呼ばれる下着になっていく。
余談だが、日本人で初めて『ズロース』を入手したのは豊臣秀吉だったそうだ。
ポルトガル人の献上品リストの中に記載があるのだが、残念ながら「秀吉の周囲にいたご婦人の誰かが着用した」という記録はないそうだ。


●フランス貴婦人がパンティをはくようになったのは王妃のおかげ!?
イタリアに続きパンティをはくようになったのがフランスだった。
当時のフランスはイタリアと深い関係にあったため、文化の流入は当然のことだ。
しかし、フランス女性がパンティをはくようになったキッカケだと言われる、面白い逸話があるのでご紹介しよう。
カトリーヌ・ド・メディシスはイタリアのメディチ家から、フランス王家に嫁いできた女性だ。
当時、フランスの貴婦人たちは乗馬をする際には、横座りをすることが普通だった。
しかし、それではバランスを取ることが難しい。
実際、カトリーヌも落馬をしてしまう。
そこで彼女は鞍を改造し、前向きに座れるようにした。
この乗馬方法は『アマゾン式』と名付けられ、宮中の貴婦人たちもこぞってマネるようになった。
しかし、問題もあった。この乗り方をするとスカートがまくれて、大事な部分が見えてしまうのだ。
そこで女性たちは、それまでは男性専用だった下着を、身に付けるようになった--というのだ。



面白いが、おそらく、この説はデタラメだろう。
なぜなら、当時は女性が男のように馬にまたがるのは下品とされていたが、していた者もいる。
たとえば、カトリーヌの夫であるアンリ2世の、愛人ディアーヌ・ド・ポワチエもその一人だ。
男乗りの方がはるかにスカートはめくれたはずだ。
したがって、「アマゾン式では大事な部分が見えてしまうから」という理由は不自然過ぎる。
まぁ、ヨタ話のひとつとして聞き流して欲しい。

文/月夜


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