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【メイド喫茶オーナー】池波先生は言った。「女は我欲に走ると幸せになれない」



メイド喫茶元オーナーの【女の子のそこのところ】第243回

僕が、尊敬する作家さんのひとりに池波正太郎さんがいます。
先生の代表作は、「鬼平犯科帳」「剣客商売」などの時代小説。
先生、小説のほかにも、人生論などを語るエッセイを多く残しています。
若い頃、株屋(今で言う証券会社)の小僧さんをしていて、
その時、大金を手にして、それを女郎屋に一括して渡して、
本当に、少年から青年になる頃に、一人の女郎さんと
半同棲みたいな生活をしていたことを懐かしそうに書いていたりする。
で、この昭和のおっさんの代表みたいな先生が、
女性のことなどをいろいろ言っています。
今日は、そんなお話。










■まだ、江戸の文化を色濃く残していた戦前の日本

江戸、つまり東京は、徳川幕府の誕生で、将軍家の城下町として、
街づくりが始まった土地です。
つまり、まず、武士がやって来て、それから、町作りのための大工、
刀鍛冶、各種職人などが中心になって、ここに移住してきたのです。
そういう歴史的背景があったので、江戸の男女比は、ものすごくアンバランス。
男が圧倒的に多くて、女子は少なかった。
つまり、普通に暮らしていたら、男は妻帯が出来ない。
で、江戸は、廓とか女郎屋とかが多くなった。ということらしい。
まあ、時をふり、だんだんと、この男女比のアンバランスは解消していったのですが、
それでも、江戸の風俗として、この公娼、私娼制度は残っていたのです。
日本で、売春行為が違法となったのは、昭和33年。
で、それまでは、風俗文化として、廓、女郎というものは存在してました。
池波先生が若い時代は、つまり、そういうこと。
現代の感覚で言うと、「売春なんて、女性の人権を無視した行為を、
文化だなんてとんでもない!」ということなんでしょうけど、
女性の仕事がほとんどなかった時代には、貧農の家の娘などが
生きて行くには、こういうことをしなければならない、という面もあり、
だから、女郎を買う、というのは、人助け、と言えないこともなかった。


■池波先生が、女郎から学んだこと

少年から青年になる頃、つまり、当時16歳だった池波さんは、
株屋の小僧の仕事をしていて、大金を手に入れ、1回1回、金を払うのも
面倒だと、ある女郎屋に、その金を全て入れ、永久フリーパス的な立場になったそうで、
「それがよかった」と後になって述懐しています。
筆おろしも、そこの女郎さんにしてもらい、相手は2つ3つ年上だということでしたから、
19歳くらいの女郎さん。その女郎さんと、「兄弟のような」「恋人のような」
関係で、戦争で出征するまで、半同棲のように過ごしたんだそうです。
16歳と言えば、性欲も強く、精神的にも不安定な時期。
そういう時期に、いつも受け入れてくれる女性がいる、ということは、
心穏やかに過ごせるし、いろいろ女性のこと、扱いを知るにはいいし、
結構、男としての成長としては、いいことなのかもしれない。
今は、そういう訳にはいかないから、まあ大変ですけどね。
で、池波先生は、あるエッセイの中でこんなことを言っています。
「女は、我欲に走ると幸せになれない」


■これは女だけに言えることではないのかも

この言葉、男と女の愛情の機微を知り尽くした池波先生らしい、
含蓄に富んだ言葉だな、と改めて思うのです。
人間っていうのは、男女を問わず、エゴイズムがあります。
「いい物を食べたい」とか「上等な服を着たい」とか
「贅沢をしたい」とか。
まあ、それはそうなんですが、池波先生は、「女は元来、自分ではない、
ヒトのために生きることで喜びを感じるようにできている。
愛する男のため、結婚すれば亭主のため、子どもを産めば子供のため。
そういうふうに生きることで本当の幸せを得られる。
それが、ヒトのためではなく、自分のため、自分のため、では、
本当の幸せは得られない」というようなことを言っているのです。
結構、これは、当たっているように思える。
愛するヒトもなく、ひたすら自分のために生きる女は、
やはり、どんなに成功して、贅沢をしたとしても、どこか幸せ感がない
ように思われるのですな。
まあ、裏を返して言えば、これは、何も女だけの話ではない。
男だって、同じことが言えるんじゃないですか?
いくら仕事で成功したところで、出世したところで、金持ちになったところで、
愛する女とか、愛するヒトがいなければ、それはなんだか虚しいもの。
男は、なんで、一生懸命仕事をするのか、出世をしようとするのか、
それは、女の気を惹くため、愛する女を養い、女を幸せにするため。
ということに行き着くような気がする。
つまり、我欲、自分のために生きるのではなく、誰かのために生きる。
ということになる。
それが、本当の幸せ。ということなのかもしれないなあ。
などと、池波先生の言葉を聞くと、そう思えてくるのです。
皆さんは、どう思いますか?

ライター:ヒロN
コラムニスト。コピーライター。プランナー。1958年生まれ。2005年から2008年 までメイド喫茶を経営。その経験を活かし、エッセイ「女の子の取扱い説明書」で作家デビュー。主な著書「メイド喫茶元オーナーが書いた女の子の取扱い説明書」「メイド喫茶元オーナーが教える女の子の取り扱い講座」「男 のダイエット」「脱力系シニアライフのすすめ。」震災、災害時のサバイバル法「ヒロN式サバイバル読本・耐災力」「女の子の取扱い講座」「ヒロN式日本昔話」小説「一休さんと野盗弥太」「僕らの町は」「きょうこさんのブス」「哲人探偵 草倉哲二」「哲人探偵 草倉哲二2ドロシー危機一髪」「犬たちの生活」など発売中。

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