性と愛の研究室 - きゃらめる民族

~リア充を目指すサイトです~

最新記事
おすすめの記事

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本性豪伝! 花のお江戸の好色三人男




江戸時代を代表するエロ親父トップ3を発表!


江戸時代を飾った性豪トップ3を独断と偏見でピックアップ!

●第3位 徳川家康~50を越えてから8人の子を作ったエロジジイ~
徳川家康は老いてもなお盛んで、16人いる子供のうち半数の8人が50歳を過ぎてからの子なのだ。“人生50年”と言われていた時代に、末子を作ったのは66歳の時だというから驚きである。


徳川家康【画像拡大】


なお、家康は若いうちは未亡人など年齢を重ねた女性が好きだったのだが、50歳あたりから逆転してロリコン化し、13歳の少女に手を出したりしている。もし、これが現在だったら間違いなく一大スキャンダルだったろう。











●第2位 小林一茶~50を過ぎてなおSEX三昧~



「我と来て遊べや親のない雀」などの俳句で知られる小林一茶は、52歳で28歳というふたまわりも年下の妻をめとる。これだけでもうらやましい限りだが、その後、妻と死別すると、62歳で2番目の妻を迎える。一説によるとこの2番目の妻は一茶の絶倫ぶりに嫌気がさし、半年で逃げ出したという。さらに64歳で3番目の妻をむかえ、1女をもうける。
なお、彼の日記によると結婚後は連日連夜SEXしまくりで、妻の妊娠中はもちろん、58歳の時に脳卒中で下半身不随になっても、性欲は衰えなかったという。

●第1位 徳川家斉~53人もの子供を作ったオットセイ将軍~
後継ぎを残すのは将軍としての務めだとはいえ、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉はやり過ぎた! なんと生涯で特定されるだけで53人もの子供を作ってしまったのだ。その絶倫さゆえ、彼は「オットセイ将軍」というあだ名で呼ばれることになる。
なお、子供たちを養子に出す際の費用が財政を圧迫し、さらに継続の大名家に対する優遇処置が、継続外の大名の不満をあおり、江戸幕府の屋台骨が揺らぐきっかけになったと言われる。
過ぎたるは及ばざるがごとしという、まさに見本のような人物である。

文/月夜
関連記事




以下読者のみなさまの反応
コメントの投稿
(設定すると投稿後編集/削除が出来る)
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら









デイトレードとは