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【速報】逃亡17年オウム高橋克也容疑者を逮捕




 報道によると、本日の午前中、
1995年3月の地下鉄サリン事件で特別手配され、
17年間にわたり、逃亡を続けていた、
オウム真理教元信徒の高橋克也容疑者(54)が、
東京都大田区の蒲田で、身柄を確保されたそうです。

 実に17年という長い期間、
逃走を続けた男の幕切れでした。
 
 そこで今回は、『オウム事件と17年』について、
書いてみました。









【1996年 埼玉・所沢での足取りを最後に・・・】




高橋克也容疑者(平成5年当時35歳・1993年)





高橋克也容疑者(逮捕時54歳)


 オウム真理教や、地下鉄サリン事件については、
マスコミでも連日のように報道されているので、
ここでは詳しく書きません。

 菊地直子容疑者(40)と高橋克也容疑者は、
1996年(平成8年)、埼玉県所沢市のマンションに、
他の信者たちと潜伏していた。
 だが、今回の高橋克也容疑者の逃走と同様、
警察が踏み込む寸前に、取り逃がしてしまったらしい。

 その後、彼らの足取りは、途絶えたという。

 当時、彼らは狭いマンション内で、潜伏生活を強いられた。
 例えば、複数の人間が生活していることを、近所の人間に隠すため、
なるべく外出を控える事はもちろん、風呂やトイレの水を使うのでさえ、
制限されていたという。

 これは、水道や電気、ガスのメーターの数値から、
ライフラインの検針に訪れる業者などを通じて、
外部の人間に知られることを、警戒していたらしい。

 特に、ガスや電気などは、それらを節約すればいいが、
トイレを使用した際、流す水などにも気を使い、
マンションの室内で、複数の人間が生活している実態を隠していたようだ。

 ガスや電気が一般の事業者なのに対し、多くの場合、水道は公営である。
 公的な機関との結びつきが強ければ、それだけ警察に通報されるリスクも高まる!
と考えたのかもしれない。
 この事から、トイレの水を流す回数を、意図的に減らしたり、
入浴回数を制限するなど、不衛生な潜伏生活を強いられたようだ。



【1996年・・・菊地直子の日記】




菊地直子容疑者(平成7年当時23歳・1995年)





菊地直子容疑者(逮捕時40歳)


 所沢から逃げる際、菊地直子容疑者は日記を残していった。
 この日記には、教団の教義ではタブーとされていた、
男性信者たちとの性的な関係についても、生々しく書かれていたという。
 また、他の女性信者への嫉妬心なども、赤裸々に書かれていたらしい。

 特に、一緒に逃げていた高橋克也容疑者との関係については、
複雑だったようだ。
 報道によると、オウム逃亡犯は、
怪しまれにくいように、男女が1組で 行動していた。
 この組み合わせは、教団内の地位によってペアが決められていたようで、
多くは男性信者が上位で、女性信者が下位だったらしい。

 ところが、高橋克也容疑者と菊地直子容疑者の場合は、
上下関係が逆だったようだ。
 このことから、最初、菊地は高橋との肉体関係を拒んでいたらしい。
 だが、長い潜伏生活のストレスに耐えきれず、
高橋が菊地を襲った。

 これは、菊地の日記に
『高橋克也にセックスを強要された』
という内容の記述があり、
その後の日記には、高橋を軽蔑するような描写もあった事から、事実のようだ。


 高橋克也容疑者への不信感もありながら、
長い逃亡生活では、他に頼る人間もいない菊地直子容疑者。

 だが、7年前、菊地が仕事関係で知り合った高橋寛人容疑者(41)の登場で、
2人の潜伏生活が変わる。

 高橋克也容疑者から離れ、
高橋寛人容疑者と、東京の町田市や神奈川の相模原市で、
同棲生活を始めた菊地直子容疑者。
 
 一部の報道によれば、菊地直子容疑者の逮捕につながる情報を通報したのは、
高橋寛人容疑者の親族だ!と言う話もあるようだ。



【当時は海外でも、高い関心があった事件・・・】




当時のニューズウィーク誌(英語版1995年5月29日号)





平田信容疑者(逮捕時47歳)


 昨年末、同じく地下鉄サリン事件で、
特別手配されていた平田信容疑者(47)の逮捕に続き、
今月の3日に逮捕された菊地直子容疑者(40)。

 そして今回、高橋克也容疑者(54)が逮捕された事により、
地下鉄サリン事件の特別手配犯3人が御用となった。

 17年もの長い間、逃走を続けた3人。
 
 実はこうしたオウム関連の事件は、海外でも広く知られており、
我々日本人が考えている以上に、多くの海外の人が関心を持っていた。

 その事を裏付ける、当時のこんなエピソードがある。

 17年前、海外放浪を終えてライターをしていた小生が、
旅先で知り合った、シンガポールの友人の結婚式に出席した時の事だ。

 夫婦共に公立学校の教師で、今でも家族ぐるみの付き合いがある友人である。

 その日、教会での結婚式を終えて、夕方から行われた披露宴のテーブルに座った。

 同じテーブルには、新婦の従兄弟たちが同席している。
 当時20代だった小生は、言葉や文化の違う自分と同世代の人たちと、
戸惑いながらも、好奇心が入り混じったような、不思議な感覚で会話をしていた。

 すると、その中の1人が、阪神大震災やオウム事件について質問してきた。

 震災については海外でも報道されている事は知っていたが、
彼らの関心は、震災よりもオウム事件の方にあった。

 披露宴の談笑の話題にどうか?とも思ったが、
丸テーブルの対面に座る人は、興味津々な顔つきで身を乗り出してくるし、
小生の左右に座っている人は、話が聞こえるようにと、こちらに椅子を寄せてくる。

 当時の日本では、毎日のようにオウム関連のニュースが報道されていた。
 小生も、知っている限り、日本で報道されているような内容を、
身振り手振りを交えて、話した。

 やがて披露宴も終わり、新婚夫婦と話していると、
旦那さんから、こんな事を言われた。

『オウムようなカルト宗教が絡んだ事件には、シンガポールだけでなく、
多くの外国の人が、関心を持っているよ。
 生徒からも質問を受けるし、僕も色々と調べた。
 でも、日本で報道されていても、外国にまでは伝わって来ない事も多いよ。
 友人から聞いたけど、ニューズウィークには詳しく書かれているらしい。
 もうこちらでは売り切れで、手に入らないんだ。日本で手に入るかな?』

と言われた。
 
 彼は社会科の教師で、
この事件について、生徒から質問を受ける事もあったという。

 当時、化学者や現役の医師、弁護士など、
日本国内でも、社会的地位の高いと思われる人たちが、
オウムのような、カルト宗教に傾倒していった理由にも、
彼らには、少なからず興味があったようだ。

 それほど、サリンという毒ガスによるテロ事件が、
日本で起きたことは、海外の人たちにとって、衝撃的だったらしい。

 その証拠に、バブル崩壊後であっても、
『外国の人から見たら、日本はとても幸せな国に見える』
というのは、小生が他の海外各地を放浪していた時にも、
異口同音に耳にした。

 もちろん、阪神大震災や、オウム事件が報道される前の話である。

 結婚式に出席して、帰国した小生は、ニューズウィークの英語版を手に入れて、
シンガポールに送った。

 私たち日本人からしたら、
外国などでは、あまり有名になって欲しくないニュースでもあるし、
ちょっと複雑である!というのが本音かもしれない。
 だが、教師である友人を通して、彼の受け持つ生徒たちに、
少しでも事件に関する情報が伝われば、と思ったのが、雑誌を送った理由だ。

 もちろん、どこの国や地域であっても、

同じような事件は、2度と起きて欲しくない!


という思いもある。



 以上の事から、今回は高橋克也容疑者の逮捕の速報を受けて、
『オウム事件と17年』について書いてみました。
 
 小生だけでなく、読者の皆さんの中にも、
彼らが20代、30代だった頃の手配写真と比べると、
2人の顔や、その雰囲気の変わりように、
少なからず驚いた人も、いるのではないのでしょうか。

 報道によると、高橋克也容疑者や菊地直子容疑者は、
顔の整形手術もしたようです。

 現場の捜査員の1人は、
『手配写真を覚えていても、あれほど変わっていたら、道ですれ違っても分からない』
と言ったのだとか・・・。
 それほど、17年という月日は、人の顔や雰囲気まで、変えてしまうのでしょうか。


 地下鉄サリン事件における、3人の特別手配犯は逮捕されました。

 ですが、地下鉄サリン事件も含めて、
オウム関連の事件では、今なお、後遺症に苦しむ被害者の方々も多く、
事件で亡くなった方々の無念さや、
遺族の方々の心の傷が、消えることはありません。



 ところで皆さんは、17年前、何をしていましたか?



 <すすきタルン>

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